第十番 阿弥陀如来
阿弥陀如来は阿弥陀痩とか阿弥陀婆の痩、婆を略して阿弥陀と言います。阿弥陀痩は無量壽と訳し阿弥陀婆は無量光と訳します。阿弥陀のみにて壽・光の両方を具えていることになりますので“長寿”と“開運”を与えて下さる仏様であります。阿弥陀如来は西方極楽浄土に居住され大日如来の智慧と慈悲の二徳を現わしその明智を以て衆生の煩悩の曇りのかかっている心も身も、その本性は清浄であることを悟っておられ、そして衆生を愛し給うので、この理を悟らして仏果に導いて下さいます。この仏様のみ名でも御真言でも唯唱えるだけで、その人は救われ必ず成仏が出来て浄土に住むことができます。阿弥陀如来は成・亥年生れの方の守り本尊でもあります。
- おん あみりた ていせい から うん
- ごくらくの 国にまします みだ如来 むかえ玉えや つみふかき身も
乗光寺
当山の基は明らかでないが、平安末期(治承年間800年前)京羅木山(標高470メートル)、星上山(標高450メートル)の連峯は真言密教行者の道場であったと言い伝えられ、その連峯の山麓にある古刹である。当寺は旧松江藩主の尊崇を受け堀尾氏の寄進状等の古文学が保管されている。本尊阿弥陀如来は行基(奈良時代の高僧)の作と伝えられ本堂の左側には神仏混淆時代(鎌倉時代)の形体を偲ばせる御社、金毘羅権現宮があり弘法大師の作と伝えられる金毘羅大権現と尼子、毛利の合戦時京羅木山へ奉祀戦勝を祈願したと言う歴史をもつ十二所権現が合祀され参拝する信者に大きな利益をさずけておられ信仰があつい。境内にはその往古を偲ばせる高さ40メートルの銀杏の巨木が天高く聳え又庫裏の裏庭は安来市広瀬町の富田城を築城した悪七兵衛、平景清の築庭と伝えられる自然の急な山畔を利用し瀧をみたてた枯れ山水の石組で男性的な岩が苔むし立体的な庭園であり全国より参観者が後を断ず。
- 阿弥陀如来
- 不詳