第五番 地蔵菩薩
釈尊が人滅後、弥勒菩薩が人間世界に御出現になるまで、56億7千万年という永い無仏末法の時代があります。この無仏の時代に地蔵菩薩は「六道を能化」するため人間世界にご出現になり、五濁の世界を救済して下さいます。中でも子供たちの守り本尊として成仏の手助けをして下さる仏さまであります。六地蔵、その他色々な名のついた地蔵さまが街道筋や巡礼道の側に立って私たちをお導き下さっています。
お地蔵さまの御誓願は、名が示すとおり大地のように踏まれても踏まれても怒ることもなく、屈することもなく、大いなる慈悲心で、すべてのものを育ててゆこう、救ってゆこうとする無尽蔵の力をもった菩薩さまとして親しまれています。
お地蔵さまの御誓願は、名が示すとおり大地のように踏まれても踏まれても怒ることもなく、屈することもなく、大いなる慈悲心で、すべてのものを育ててゆこう、救ってゆこうとする無尽蔵の力をもった菩薩さまとして親しまれています。
- おん かかかび さんまえい そわか
- たのみなき 無仏世界の 衆生をば すくわでやまぬ なむ地蔵尊
薬師院
当寺の創立年代は不詳であるが、寺の縁起によると、昔恵心僧都諸国巡錫の際、この山に登り求聞持の法を修し、その時霊験を得て、明星を感得し明星山と号し、3体の阿弥陀如来の像を画いて奉安したと寺伝に記されている。
当寺の本尊虚空蔵はその作者は不明であり、今の寺の創立年代も不明であるが、早くより本浄坊と称し、佐陀神社社僧十二坊の一つとして、元禄時代まではその寺領を受けていたという。又境内の薬師堂はもと佐陀神社の近くにあったが、神仏習合の制が廃止されると共に、本浄坊の境内に移転された。この堂には行基菩薩の作と伝えられる薬師如来を本尊として奉安してあるので、その頃から本浄坊の号も改めて、薬師院と称するようになったのである。
当寺の本尊虚空蔵はその作者は不明であり、今の寺の創立年代も不明であるが、早くより本浄坊と称し、佐陀神社社僧十二坊の一つとして、元禄時代まではその寺領を受けていたという。又境内の薬師堂はもと佐陀神社の近くにあったが、神仏習合の制が廃止されると共に、本浄坊の境内に移転された。この堂には行基菩薩の作と伝えられる薬師如来を本尊として奉安してあるので、その頃から本浄坊の号も改めて、薬師院と称するようになったのである。
- 虚空蔵菩薩
- 恵心僧都